ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(少女ジーザス):それでも絶望することなく。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年10月15日 00時10分15秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
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 わたしはフツーのクリスチャンとしてどのような小さなことをする場合にも「あっ、こんなとき主イエスさまだったらこうするんじゃないかなあ」と考えながら(祈り求めながら)仕事をすることにしている。どのような小さなことと思われることでも以上のように考えながらさせていただく。
 たとえば夫に「○×をしてくれ」と言われた時などよろこんで「あっ、主イエスさまだったらこうするんじゃないか」と考えながらすることに全身全霊を集中させる。
 しかしである。そのように考え祈りもとめてもなかなかそのとおりにできない事の方が多い。でもわたしは自分に絶望することなくどのような小さなことでも「あっ、主イエスさまだったらこうするんじゃないかなあ」と祈り求めながらすることを決してやめるつもりはない。
 なぜか? 主イエス・キリストご自身そのようにわたしにさせるのであるから。
 フツーのクリスチャンのわたしは主を愛している。愛し尊敬している。全身全霊をもって。
 わたしの全存在をかけて。だって、「愛」は主より与えられなければわたしは根のない草木と変わらない。
 主ご自身の「愛」はわたしというまことに貧弱な樹をなんとか樹たらしめてくれているのである。わたしが生かされるいわば養分である。

 これは、教会がわたしに何かを要求しているとか、ましてや教祖さまがわたしに命令しているとか、そういう類いのものではない。
 神はわたしたちを生活破綻者に仕立て上げようなどとなさったりしないのである。
 教祖さまに逆らうと「地獄に堕ちる」などというバカな話はありえない。むしろ愚かなわたしたちが地獄に堕ちないように主が自ら十字架にかかってくださったのである。
 どこかの集団ではおそらく教祖さまがさきに地獄で待っているのに違いないのだ。わたしは金輪際、彼に会うことはないだろう。
 




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