
見よ。主の手が短くて救えないのではない。
その耳が遠くて聞こえないのではない。
むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、
あなたがたの神との仕切りとなり、
あなたがたの罪が御顔を隠させ、
聞いてくださらないようにしたのだ。
(イザヤ書第59章 1・2節 )
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何か悪いことがあるとわたしたちはすぐに神のせいにする。
そうではない。わたしたち自身が悪い、わたしたち自身の罪が
何か悪いことを引き寄せたのである。
上記引用聖句のように「あなたがたの罪が御顔を隠させ聞いて
くださらないのだ」ということである。
しかし、これはわたしたちの体験だが、それでも主ご自身は聞き届けて
くださっている。そしてじっと見守っていてくださっている。
どのような時でもである。
これはわたし自身の体験だが、主はわたしがどのようになろうともわたし
の内にいてくださり、いっしょに苦しみ、いっしょに悲しみ、時にはいっしょに
怒ってくださる。
一挙手一投足が主といっしょである。
なんというなぐさめであろうか。
だからわたしは生きていられる。だからわたしは今日も祈る。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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