ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は
『あれは悪霊につかれているのだ』と言い、
人の子が来て食べたり飲んだりしていると、
『あれは見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の
仲間だ』
でも知恵の正しいことは、その行ないが証明します」。
(マタイによる福音書 第11章 18節・19節 )
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上記引用聖句のバプテスマのヨハネや主イエス・キリストのように
すると現代では「オウム」と呼ばれてしまう。
この少女ジーザスは持病のためあまり間色をしない。
すると「あれはオウム」である。
また女性のくせに「スカートを1枚も持っていない」と「あれは過激派」である。
最近ではわたしの持病も「あれはずいぶんはっきりものを言う。病人らしくない。
病気じゃないんじゃない」である。
主イエスさまの場合「ユダヤ教徒らしくない」ということばのであろう。
またバプテスマのヨハネも「人間らしくない」ということなのである。
わたしたちはともすれば相手を狭量な見方で見て決め付けてしまう。
よくよく気をつけなければならない。
主イエスさまのように「相手をほんとうに理解する」ことは並大抵ではない。
でもわたしたちクリスチャンは聖霊が与えられている。
この御方にひたすらしがみついて助けていただこう。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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