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あなたが病気になった時「なぜわたしはこんな病気になったのだろうか?」という問いを持つかもしれない。しかし大抵の人はこの「なぜわたしは……?」という自分自身が落ち込んでいる不条理そのものを問うことをしない。まして神に対して問うことをしないのは言うまでもない。しかし、人間、不条理の最中にいる時こそ「神ご自身への問い」がごく自然に与えられるとフツーのクリスチャンのわたしは思う。
では、無理矢理自分自身を不条理の中に追い込むことをやるべきなのだろうか?
たとえば無茶をやってわざと病気になるとか。断じてそうしてはならないとフツーのクリスチャンのわたしは言う。
ごく自然にもし信仰が少しでもあるなら神ご自身におまかせするような生き方をこそ祈り求めるべきであると思う。その意味でも普段の日常生活の中での「主に向かってのお祈り」はフツーのクリスチャンにとってはとても大切なことである。
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