ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(マルティン・ルター):貧しい人の足を洗うということ。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2023年10月06日 00時10分06秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド


   貧しい人の足を洗おうと心から思うなら、かれらを
   あなたがたの家に連れて行き、食事を与え、服を着せると
   いったことを一年間続けてみるといいのです。

    (「イースター・ブック」マルティン・ルター R・ベイントン編
                  中村妙子訳  新教出版社     )

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 上記引用文と関連することだが、わたしは昔、洗礼を受けたてのころ、知人たちからこんな実話(とわたしは思う)を聞いたことがある。
 ある司祭がある貧しい婦人の相談にのってあげているうち、自分は司祭としてこの婦人と結婚しなければ、この婦人をキリストのものにすることはできない、つまりこの婦人は救われないと真剣に決心し、彼女と結婚したという話である。
 フツーのクリスチャンのわたしはこの司祭は「よきサマリヤ人となった」と思って感動した。そしてこの婦人は「キリストの妻」となったのだと思って感動した。
 ある人間に対して司祭としてあるいは一キリスト教徒として「責任をもつ」とは以上のようなことではないだろか?
 ちょうど「よきサマリヤ人」のように徹底してひとりの傷ついた人に責任をもったように。
 ちなみに「ある貧しい婦人」とは実はこのフツーのクリスチャンのわたし自身のことでもある。


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