すると、道ばたにすわっていたふたりの盲人が、
イエスが通られると聞いて、叫んで言った。
「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ。」
そこで、群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたが、
彼らはますます、「主よ。私たちをあわれんでください。
ダビデの子よ。」と叫び立てた。
すると、イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われた。
「わたしに何をしてほしいのか。」
彼らはイエスに言った。
「主よ。この目をあけていただきたいのです。」
イエスはかわいそうに思って、彼らの目にさわられた。
すると、すぐさま彼らは見えるようになり、イエスについて行った。
(マタイによる福音書 第20章 30から34節 )
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このエピソードは全宇宙のすべてのハンディキャップを負っている方々にあてはまるものである。
まず、上記引用聖句にあるようにふたりの盲人がイエスに向かって叫んでいる。
しかしこのいのちの叫びはいろいろな群衆によって残酷きわまりなく黙らせようとされるのである。
わたし少女ジーザスは自分の体験から言わせていただくと同じハンディキャップの人同士でも
なんらかのいのちの叫びを黙らせるようないちゃもんがつくのが世の常である。わたしに言わせれば、
なぜ同じハンディキャップの人がそんなことをするのかというと要するに主の被造物というものは
そんな負の一致というかみんな不完全なのである。
それではとわたし少女ジーザスは主張する。
ハンディキャップの人もそうでない人も、高きも低きも、貧しくも富めるも、同じ土俵に立って
主ご自身に向かって祈ろう、と。
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