キリストのもとに行きたいと思う者は自分が罪人であることを
感じ、また信じなければならないのです。
(「イースター・ブック」マルティン・ルター著 R・ベイントン編
中村妙子訳 新教出版社 )
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あなたは「罪人」という言葉から何を連想するだろうか?
やはりまず「犯罪者」だろうか?
それとも主イエス・キリストが固く禁じた「殺すな」「盗むな」「姦淫するな」をやってしまった者だろうか?
3つの罪のうちやはり最大の罪は「殺すこと」だと思う。わたしたちは動物であれ植物であれ、何かしらの他の生命体を殺さなければ自分たちが生きていけない。何かを「殺して」「食べる」のが人間でも人間以外の生命体でも同じである。
では「生きること」そのものが「罪」なのか?という人類そして生命体全体の哲学的宗教的問題にゆきつく。
少女ジーザス的に言わせていただくとおよそ心と魂と体をもつ生命体ならば、みんな全員小さな「キリスト殺し」をやってやっと生かしていただいているのである。
生命体とはどのような種であれ、どのような形をしていても、どのような色をしていてもどのような匂いをしていても全部小さな「キリスト殺し」の罪人である。
しかしこれはとんでもない「希望」とそして「愛」である。
主ご自身の愛を感じ、自分が「罪人」だという「自覚」が与えられればあなたはそれだけでも立派なクリスチャンである。
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【言の葉(マルティン・ルター):あなたも立派なクリスチャンだと主は言われる】12・04・04
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