
五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。
しかし、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。
(ルカによる福音書第12章6節 )
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フツーのクリスチャンのわたしは大の動物植物好きである。
しかし、単に大好きだから上記引用の聖句に感動したのではない。
主ご自身の「いのちの尊重」に対してただただ自分自身の「いのちの尊重」のなさ、愛の足りなさを痛感させられたから。
「いのち」とは何だろう?
それは愛なる神が創造なさった存在である。
この「主の創造」ということにおいてわたしはフツーのクリスチャンとして「すべてのいのち権の尊重」ということをつまり「いのちへの愛」を毎朝毎晩主に向かって祈り求めている。
わたしたち人間にとって他の生命体は単に食糧であり、衣服であり、遊び相手であったり使役動物であったりするするだけの存在にすぎないのだろうか?
「ちがうんだよ」と主はわたしに厳かに語ってくださる。
だから猫なら猫としての習性をもつものとして創造し、そのような動物として、主にいのちを与えられながら生かされ、猫としてのいのちの権利といのち権の尊重を主張し行使するものとして猫としてしあわせに生かされるために主は創造なさったというのがフツーのクリスチャンのフツーの信仰である。
すべてのいのちあるものにすべての生命体に主の祝福がありますように、そして主の愛と正義と自由がありますように。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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