
どうして私は神の怒りを和らげることができるか。
(『生きる勇気』:ティリッヒ著・平凡社ライブラリー)
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上記に引用したパウル・ティリッヒの言葉は、古今東西の人間という生き物ならば神学者や哲学者や宗教者でなくとも「ごく自然に自分の心の奥底からふつふつとわきあがってくる感情」である。
この拙文をお読みいただいているあなたも、ただの一度も自分はそんな感情を抱いたことはない、ただの一度もそんな気持ちになったことはないという方はおられないと思う。
神社やお寺や教会やその他の宗教施設は、実に上記のパウル・ティリッヒの「どうやったら私という人間は神の怒りを和らげ、平穏無事な日常生活を営むことができるか」を神や仏に問い、自分自身の日日の具体的な願いごとをお祈りし、さらには「自分という人間がいったいどこから来て、どこへ行こうとしているのか」を考え、神や仏からお答をいただく場所である。
人間はお祈りが出来て初めて人間らしいといえるというのが、フツーのクリスチャンのわたしの確たる信仰である。だからわたしは他宗教の宗教施設にも尊敬の気持ちを失わないようにと、日ごろ主イエス・キリストにお祈りしている。
それでもわたしはフツーのクリスチャンとして他宗教を否定してしまいがちな「わたし自身の中の悪」を見て悲しんでいる。
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↓:悪。
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(『生きる勇気』:ティリッヒ著・平凡社ライブラリー)
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上記に引用したパウル・ティリッヒの言葉は、古今東西の人間という生き物ならば神学者や哲学者や宗教者でなくとも「ごく自然に自分の心の奥底からふつふつとわきあがってくる感情」である。
この拙文をお読みいただいているあなたも、ただの一度も自分はそんな感情を抱いたことはない、ただの一度もそんな気持ちになったことはないという方はおられないと思う。
神社やお寺や教会やその他の宗教施設は、実に上記のパウル・ティリッヒの「どうやったら私という人間は神の怒りを和らげ、平穏無事な日常生活を営むことができるか」を神や仏に問い、自分自身の日日の具体的な願いごとをお祈りし、さらには「自分という人間がいったいどこから来て、どこへ行こうとしているのか」を考え、神や仏からお答をいただく場所である。
人間はお祈りが出来て初めて人間らしいといえるというのが、フツーのクリスチャンのわたしの確たる信仰である。だからわたしは他宗教の宗教施設にも尊敬の気持ちを失わないようにと、日ごろ主イエス・キリストにお祈りしている。
それでもわたしはフツーのクリスチャンとして他宗教を否定してしまいがちな「わたし自身の中の悪」を見て悲しんでいる。
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