その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。
それは、ユダヤ人たちがイエスを殺そうとしていたので、
ユダヤを巡りたいとは思われなかったからである。
(ヨハネによる福音書第7章 1節 )
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「律法」というのはこの時代現代の「法律」に等しかった。
この「法律」に等しい「律法」(ユダヤ教の戒律)をイエスが、
安息日に病人をいやして治したというので律法を破っていると
みなして主イエスを憎んだのである。
いわば罪人、犯罪者の扱いをしたのである。
それにしても殺そうとまで考えるということが現代のわたしには
理解に苦しむ。「殺し」の方がよほど犯罪なのではないだろうか。
しかし彼らにとっていわば普通の道徳を破ってもユダヤ教の戒律を
守ることのほうが何よりも大切だったのである。
ここに現代のわたしは宗教というもののひとつの大きな問題点を見る。
宗教に熱心なのは「信教・思想の自由」から見てもよいことだと思う。
しかしだいたいどの宗教でもいちばん大切にしている命というものを
自分たちの宗教の戒律を破ったからといってその者を殺してしまおう
というのはどういうことなのか。
主イエスは普通の人間として、そしてユダヤ教徒としての両方の問題
をわかりやすく人々に語った。
そして主イエスのことを「あんな者、殺してしまえ」ということに
なったのである。
父と子と聖霊の御名によって。
アーメン。
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