ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(内村鑑三):人殺しをフツーにしないために。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年11月02日 00時11分02秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    神の人モーセの墓を隠してこれを人に知らせず、
    預言者エリヤを火の車で天に迎えた神は、
    ペトロ、パウロをも無名の死を遂げさせたのであろう。
    二者ともにキリストの忠実な僕、彼らの最も忌み嫌った
    ものは、人に崇拝されることであった。

    (「一日一生」内村鑑三著 教文館 )


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 主がモーセの墓を隠したのも、人に神のごとくにモーセを拝ませないためである。
 「人間を拝んだって信教の自由じゃないか」という大音響が聞えてくる。
 しかしここで主が人間に警告してやまないことがあることをわたしたち人類は忘れてはならない。 
 「人間に過ぎないものを神として拝ませた」結果、人間同士の間に何が起こったか? 
 少なくとも同じ地球の上で起こった歴史の事実を忘れたわけではあるまい。 
 「ローマ皇帝しかり、ヒトラーしかり、昭和天皇しかり」。およそ地球上で起こった世界の大戦は「人間に過ぎない者を神として拝ませた結果、人殺しがフツーになってしまったものである」。
 この拙文を読んでくださるあなたは「人殺し」がフツーのことだと思うだろうか?
 ともあれ「人間を神として拝むこと」は、「人殺しの思想」を生み、「いのちの全否定」を生み、「神を否定する無神論」を生む。
 キリスト教では、崇拝されるのは神のみである。

 同じキリスト教どうしが戦った歴史もある。
 現在、ロシア正教の国がウクライナ正教の国を蹂躙している。嘆かわしい。
 嘆いているのは神ご自身である。
 彼ら(あるいはプーとその取り巻き)は神を崇拝する振りをしているが実はまったく逸脱しているのである。
 ウクライナに神の愛を‼❣。



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