人間はともすれば、被害者意識にのみ立ちやすい。
(「明日のあなたへ」三浦綾子著 集英社 )
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わたしは二回人工妊娠中絶を体験している。
クリスチャンになってからである。
つまり洗礼を受け主イエス・キリストの教会に正式に迎えて戴いてから二人も自分の子供を殺すという主イエス・キリストの御前で大きくて深い深い罪を犯した。
しかし、主イエス・キリストはわたしに「被害者意識」を持たせなかった。まったくなかったわけではないが、わたしは相手の男性を「加害者」とばかり思いこむことはなかった。ただただ主イエス・キリストの御前で二人も自分の子供を殺してしまったという「罪の意識」を主イエス・キリストからいただいた。ただひたすらに主イエス・キリストの御前にお祈りをすることで、それによってのみ「主イエス・キリストの罪のゆるし」が与えられた。
それからのわたしは「いのち」」というものに対する「心の在り方」がガラリと変わった。これもただひとえに主イエス・キリストよりの「大きな恵み」だと思って感謝するばかりである。
「いのちを殺す」ということは「自分のいのちをも殺す」ことと同じだと思っている。だからわたしは「すべてのいのちは平等」だという信仰が与えられた。
キリスト教では一般的に「人間のいのち」だけを大切にするように教える。しかしわたしに語りかけてくださる主イエス・キリストは違う。
「ほら、この小さな花もあなたのいのちだよ」。「ほら、この樹もあなたのいのちだよ」。「ほら、あのヘンチクリンにしか見えないだろうけれど、あの人もあなたのいのちだよ」と、こんな風にいつも「いのちの大切さ」についてわたしに語りかけてくださるのだ。
主イエス・キリストの御名は永遠から永遠まで何ものにもましてほむべきかな。
アーメン。
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↓:ほむべきかな。
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