ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

主はわが牧者。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(旧約聖書)

2021年07月26日 00時02分29秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子をあわれまない
   ことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、
   わたしはあなたを忘れることはない。
   見よ、わたしはたなごころにあなたを彫り刻んだ。

     (イザヤ書第49章15節から16節 )

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 上記のみことばでフツーのクリスチャンのわたしはどんなにか慰められたことだろう。以前にも書いたが、わたしはわたし自身の愚かさからフツーのクリスチャンであるにもかかわらず、二度にわたって人工妊娠中絶をしてしまった。わたしは二人も自分の子供を最も残酷な方法で殺してしまったのだ。それ以来「わたしの罪」はわたしには背負うことのできない重い重い重荷となり、わたしの全身全霊をしばりつける罪というものの後に与えられる「大きな罰」となった。
 しかし「大きな罰」が主より与えられただけわたしはラッキーだと思った。世の中には「罪の意識すら主より与えられないという罰」があるからだ。
 主はわたしに言われる。
 「わたしに断罪されるようなどうしようもないヤツがいてもいいだろう。ヤツらはねえ、ただのぬいぐるみであって人間でも動物でもないからだよ」
 わたしはフツーのクリスチャンとして「性といのちの問題」を主の御名によって永遠に「自分の問題」として考察させていただこうと思っている。
 中絶してしまったみなさん、決して絶望しないでください。どうかご自分の罪を自覚できるように神に祈ってください。
 わたしはこれからの人生を「悔い改めに生きる人生」にしたいと思っている。そして少しでも「いのちを愛する愛」をいただけるように主の御前でお祈りさせていただいている。
 わたしは主の復活のいのちを生きることが殺してしまった2人の子供に対する愛だと確信するものである。
 2人の子供は現在、主イエス・キリストの天国に生きている。
 主に感謝! アーメン。


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