
また同じ主の律法に「山ばと一つがい、
または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに
従って、犠牲をささげるためであった。
(ルカによる福音書 第2章 24節 )
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主イエス・キリストが主にささげられたので、上記引用聖句の
犠牲を最後にいっさいの人間以外の他の生命体の犠牲も、
もちろん人間の犠牲もすべての犠牲が必要なくなったのである。
この意味で旧約の時代から一日とて休むひまなく続けられた「犠牲」
すべての「犠牲」が全くなくされたのである。
主イエス・キリストは創造主である。
御手による人間以外の他の生命体もこれ以上「犠牲」にするのが
いやだったのに違いないとわたしたちは思っている。
人間以外の他の生命体にもわたしたち人間と同じように
「心と魂と肉体」があるのである。
わたしたち人間と同じように悲しんだり喜んだり考えたりするのである。
わたしは言う。
全宇宙に向かって宣言する。
いのちあるすべてのもののために主イエス・キリストは生まれて十字架に
かかってくださり、復活してくださったのだと。
福音はいのちあるすべてのものたちのために宣教されて当然である。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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↓:十字架
