
重いと言いつつ軽くされている生命。
(「おもしろキリスト教質問箱Q&A77 教文館 )
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ひとつのいのちは地球一個より重い。
しかしわたしたちはいのちある者は他のいのちを殺して食べなくては生きられないという「いのちのシステム」の中でしか生きられない。
言うなればひとつのいのちは他のいのちに生命を与えるために殺される。まるでわたしたちいのちある者は互いに主イエス・キリストのようだ。
「いのちのシステム」は主イエス・キリストの十字架と復活のいのちに支えられ守られている。全宇宙は主の御手の内に存在するという信仰がわたしたちフツーのクリスチャンの信仰だ。主の「いのちのシステム」に生かされるということは主の十字架とそこからの復活は「自分のためであった」ことを自覚し、心底から主に感謝することだ。
「主の復活のいのち」に感謝する心が主より与えられると、全宇宙のすべてのいのちが主の眼には尊いのだという確信が与えられる。するとごく自然に食卓の皿の上のお魚のいのちに感謝することができるようになる。
しかし現代のように食生活が豊かになると「いのち」に対する感謝の心が次第に失われてしまっていく。食卓の皿の上のお魚は食べて当たり前になり、「いのち」に対する感謝の心など忘れてしまう。
しかし、わたしたちのように日に三度当たり前のように食べられる人間は地球上では残念ながら少数派である。大多数は日々の食事をとることができない。この人たちは食事が与えられた時大いに喜び「ああ、生きることができる」と自然に「いのち」に感謝することができるのではないだろうか。
この意味でわたしはフツーのクリスチャンとしてまず、すべての人間が平等に食べることのできる「地球」になるように主に祈り求めてやまない。そしてついに全宇宙が平等に食べることのできる世界になるように主に祈りもとめている。
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ひとつのいのちは地球一個より重い。
しかしわたしたちはいのちある者は他のいのちを殺して食べなくては生きられないという「いのちのシステム」の中でしか生きられない。
言うなればひとつのいのちは他のいのちに生命を与えるために殺される。まるでわたしたちいのちある者は互いに主イエス・キリストのようだ。
「いのちのシステム」は主イエス・キリストの十字架と復活のいのちに支えられ守られている。全宇宙は主の御手の内に存在するという信仰がわたしたちフツーのクリスチャンの信仰だ。主の「いのちのシステム」に生かされるということは主の十字架とそこからの復活は「自分のためであった」ことを自覚し、心底から主に感謝することだ。
「主の復活のいのち」に感謝する心が主より与えられると、全宇宙のすべてのいのちが主の眼には尊いのだという確信が与えられる。するとごく自然に食卓の皿の上のお魚のいのちに感謝することができるようになる。
しかし現代のように食生活が豊かになると「いのち」に対する感謝の心が次第に失われてしまっていく。食卓の皿の上のお魚は食べて当たり前になり、「いのち」に対する感謝の心など忘れてしまう。
しかし、わたしたちのように日に三度当たり前のように食べられる人間は地球上では残念ながら少数派である。大多数は日々の食事をとることができない。この人たちは食事が与えられた時大いに喜び「ああ、生きることができる」と自然に「いのち」に感謝することができるのではないだろうか。
この意味でわたしはフツーのクリスチャンとしてまず、すべての人間が平等に食べることのできる「地球」になるように主に祈り求めてやまない。そしてついに全宇宙が平等に食べることのできる世界になるように主に祈りもとめている。
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