『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、
罪を犯しました。
もうあなたの息子と呼ばれる資格はありません』。
(ルカによる福音書第15章21節 )
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主はこの放蕩息子の立場までその身を落としてくださった。わたしはフツーのクリスチャンとして宣言させていただくが、主はただの一度も「罪」を犯されなかったのではないのだと言える。
それこそ他宗教の主張するいわゆる「聖人」ではなかった。だから「ひとりの人間としてあらゆることを天の父なる神は子なる神に経験させた」。
主は人間として雄々しくそれこそ真の勇気をもって「罪」と戦われた。だからわたしたちのどのような罪をも理解してくださるし、魂の奥底からゆるしを願えばただちにゆるしてくださる。
「神だからではない、愛することしかできない御方だからだ」。
「神として雲の上でふんぞり返ってはいられないかったのだ」。
ただひたすら被造物をご自分が創造なさったすべてのいのちを愛したいがゆえに人間となってどん底のどん底まで人間としてのあらゆる経験をなさった。おきれいで品行方正なイエスさまでは決してないというのがフツーのクリスチャンのわたしに与えられた信仰である。だから全宇宙のすべてのいのちを十字架として背負ってその死によりすべてのいのちの罪を殺してくださることができた。
無限大の愛を天の父がみとめてくださり、復活させてくださった。
だからフツーのクリスチャンのわたしはこう祈る。
霊魂と肉体にて一つの人なるごとく神と人にて一つのキリストなり、
全宇宙は主の復活のいのち
わたしたちは主の全宇宙
主はわたしたちの全宇宙
全宇宙にはてはない
無限大
主イエス・キリストの体なり
主イエス・キリストの愛なり
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【無限大の愛、愛は無限大(新約聖書)】10.10.13
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