「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちへの水がわき出します」。
(ヨハネによる福音書第4章13・14節 )
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主は霊的な水のことを言っているのである。
主が与える水はその人の心と魂の中で泉となり、
それが体にもゆきわたりその人は精神的にけっして
渇くことがなくなる。
ここで主がおっしゃっている「わたしが与える水」とは
「主のみことば」「主へのお祈り」のことである。
「主の水」を与えられた者はけっしてもはや渇くことがない。
上記引用聖句の箇所では主はまだ十字架にかけられていないが
「主の水」は復活のいのちであり、とこしえのいのちである。
だから主を全き神全き人間として信じる信仰(これが主の水である)が
与えられれば主と同じ復活のいのちとこしえのいのちが与えられる。
神の愛が与えられる。
もうわたしたち主にある者たちは渇くことがない。
主が十字架にかけられた時、主ご自身がおっしゃっておられる。
「われ渇く」と。主はここまでわたしたちのことを被造物のことを
理解してくださったのである。
わたしたちはもっと安心して主についてゆこう。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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