
心をいれかえて幼な子のようにならなければ、
天国にはいることはできないであろう。
(マタイによる福音書第18章3節 )
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わたしたちはいわば「幼な子の幼な子」である。
天の父なる神さまの御前に主イエス・キリストは幼な子である。このキリストを信じるわたしたちフツーのクリスチャンは「幼な子の幼な子」である。わたしたちが「神の子」とされるゆえんである。
ここで言っている天国とは死んでから行く場所ではない。今ここで生かされて生きているこのわたしの心の状態であり、あなたの心の状態である。これはある詩人が言っているように「いつも静かに笑っている」などというような一種のいわゆる悟りの境地などではない。
要するに「どのような心の状態でも主とつながっているか」ということである。あなたが何かに対して怒り心頭に発していても主とつながっていれば「祈り」が与えられ、あなたの心の状態が「実はこうなんだよ」と主ご自身に示していただける。そして「だからこう祈りなさい」と祈りが与えられ、たとえどのような状態でもいやしていただけるものである。
主を信じることだ。決して自分はこんなだからダメだ、と自分に絶望してはならない。主がしっかりとあなたを見守っておられる。あなたの心よりも深いところに住んでくださっておられる。決して主は高いところからあなたを見守っておられるのではない。いつもあなたよりもずっと低いところであなたを見守ってくださっている。あなたを創造してくださった存在だから。
この幼な子なる御方を信じて祈ろう。
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