人は、生命を動物的生存と見る観念を棄てきれないので、
理性的な意識の覚醒のために生命が停止したような気が
する。
(「人生論」トルストイ著 原卓也訳 新潮文庫 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
人間は生物学的に言ったらやはりヒト科の哺乳類であり、「動物の一種類」である。
しかしわたしが「人間ってなんてすばらしいんだ」と思えるのは「愛」を感じた時それも「主の愛」を感じた時である。(これは人間以外の動物にも感じることはあるが、このことにはいまは触れずに置く)。
では「主イエス・キリストの愛」とはどのような愛だろうか?
わたしを全宇宙で唯一愛しているよと言ってくださる愛である。
主はすべてをわたしのすべてをご存じである。なんという真の安心感が与えられることか。しかし中には「あ、ヤダ、主イエス・キリストってわたしのこんなことまで分かっていらっしゃるのね」と少々主のご臨在を時には疎ましく思ってしまったりする人間もいる。
フツーのクリスチャンのこのわたしもそうである。
まさにそんな時、主イエス・キリストへのわたしのチッポケな愛のためにわたしの生命がトルストイの言葉を借りるなら「生命が停止」してしまったように感じてしまう。
真の安心感と同時にこのような「痛み」を自分の生命に対してもつのである。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:♥。✝。
理性的な意識の覚醒のために生命が停止したような気が
する。
(「人生論」トルストイ著 原卓也訳 新潮文庫 )
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人間は生物学的に言ったらやはりヒト科の哺乳類であり、「動物の一種類」である。
しかしわたしが「人間ってなんてすばらしいんだ」と思えるのは「愛」を感じた時それも「主の愛」を感じた時である。(これは人間以外の動物にも感じることはあるが、このことにはいまは触れずに置く)。
では「主イエス・キリストの愛」とはどのような愛だろうか?
わたしを全宇宙で唯一愛しているよと言ってくださる愛である。
主はすべてをわたしのすべてをご存じである。なんという真の安心感が与えられることか。しかし中には「あ、ヤダ、主イエス・キリストってわたしのこんなことまで分かっていらっしゃるのね」と少々主のご臨在を時には疎ましく思ってしまったりする人間もいる。
フツーのクリスチャンのこのわたしもそうである。
まさにそんな時、主イエス・キリストへのわたしのチッポケな愛のためにわたしの生命がトルストイの言葉を借りるなら「生命が停止」してしまったように感じてしまう。
真の安心感と同時にこのような「痛み」を自分の生命に対してもつのである。
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