ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

たった一匹の羊。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2021年07月24日 00時05分55秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者が
     いたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を
     野原に残しておいていなくなった一匹を見つけるまで
     捜し歩かないであろうか 」

      (ルカによる福音書第15章4節 )


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 神は徹底的に「いなくなった一匹」のことをいつも考え、そしてどこまでもどこまでも捜して歩く方だ。これは神のわれらいのちある者に対しての永遠の変わらぬ姿である。これが神の愛である。
 だから主イエス・キリストはこうも言う。
 「丈夫な人に医者はいらない。いるのは病人である。私が来たのは義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである 」(ルカ:5・31)。
 この拙文を読んでくださっているあなたは自分が主の御前からいなくなって迷っている羊だという自覚がおありだろうか?「神を知りながら、拒否している自分を自覚しているだろか? 」
 それともあなたは「神への信仰などわたしには必要がない。わたしは義人だから」と思っているだろうか?そのように思っているのだとしたら、大分危険な状態である。「わたしは神に祈る必要などない」などと思って言るだろうか?このように思うのはあなたの思想、信条、主義、主張、良心の自由である。しかしフツーのクリスチャンとして言うが、あなたはただの一度も「神さま、助けて! 」という気持ちになったことがない、などと考えられないと思うのだが。
  「真の人間」となるために、というより人間はただ一人の例外もなくみんな主が捜しておられる迷ったたった一匹の羊、主が大切に思っておられるたった一匹の羊なのだ、というその自覚を与えていただき、主イエス・キリストの復活のいのちに生かされる者とならせていただけるように、共にお祈りしよう。


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      ↓:🐑。ひつじが一匹……。
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