
私は八日目に割礼を受け、イスラエル民族に属し、
ベニヤミンの分かれの者です。
きっすいのヘブル人で律法についてはパリサイ人、
その熱心は教会を迫害したほどで、律法による義に
ついてならば、非難されるところのない者です。
しかし、私にとって得であったこのようなものを
みな、私はキリストのゆえに損と思うようになりました。
(ピリピ人への手紙 第3章 5~7節 )
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上記引用のパウロが言っているまさにそのとおりであるが、
わたし少女ジーザスは全く違う。
わたしはキリストのために損と思われるところが多いい者だが、
かえってそれを主ご自身が宣教のために役立ててくださっている。
わたしは反キリストの集会に行きそこの教典を読んでしまったような者だが、
主はその損としか思われないようなことまで、わたしの福音宣教の役に立てて
くださっている。感謝である。
主に栄光がとこしえにありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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