ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(トルストイ):主の十字架と復活のいのち。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年11月26日 00時11分26秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   死の恐怖はよい生活に反比例する。
   罪穢れのない人生にあっては、この恐怖は―
   ゼロである。


   (「ことばの日めくり」トルストイ著小沼文彦編訳 
                      女子パウロ会 )



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 上記の一文でトルストイの言うところの「よい生活」とはフツーのクリスチャンのわたしたちにとって主の主王の王主イエス・キリストの生き方をなんとか、どうにかしてマネすることを意味する。そのような真の生活を「よい生活」と言う。
 「罪にまみれた人生」であるが、主の十字架をひたすら信じることによって清くされている。つまり「罪あり」が主の十字架により「罪なし」とされるのである。
 ごつごう主義のお気楽な宗教だろうか?
 なんかそのような大音響が聞えてくる。
 しかししかし少なくとも主イエス・キリストご自身は「気楽な宗教家」ではすまされなかった。主は全宇宙の生きとし生ける者たちのために十字架にかかって「罪あり」となってくださり、わたしたちを「罪なし」(悔い改める者)としてくださった。
 そしてわたしたちを永遠に生かすために「復活してくださった」。フツーのクリスチャンのわたしたちは主の「復活のいのちに生かされる者たち」である。
 だからわたしたちにはもう「死の恐怖はゼロ」に近い。(人間にすぎないからタマにはこの恐怖がおそってくることもあるが)。



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