私たちはもうすでにイエス・キリストの贖いの力、
執り成しの力、そして裁き、赦す力、主イエス・キリストの
恵みの力の中に生かされています。
キリストの圏内にいかされている。それがキリスト者です。
そうすると、キリスト者だからこそ思い煩うのをやめるのです。
どんなことでも、思い煩うのをやめる。
それは私たちが主において生かされているキリスト者であるという
ことと同じことなのです。
(「しかし、勇気を出しなさい」福音の倫理的力 近藤勝彦著 )
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わたしは小さなクリスチャンどころか、とてもとても弱い性格をしている。
まさしく上記引用聖句にあるように「思い煩う」を絵に描いたような人間である。
いつもわたしの頭の中は、ああでもない、こうでもない、あれにしよう、いや、
このほうがいい、あちらに行こうか、いやあそこに行ったほうがいいなどと、
星の数ほどの「思い煩い」でつまっている。
その中心におごそかに力強く主ご自身がおられるのである。そしてわたしに
「主であるわたしに祈り求めなさい。主であるわたしにこそ祈り求めなさい」と
いろいろな星の数ほどの「思い煩い」を御手により整理してくださるのである。
つまり「思い煩っているわたしを助けてくださるのである」。
主ご自身に対して本当に魂の奥底から全身全霊をもって感謝する日々である。
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