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神が造ったすべての物を見られたところ、
それははなはだ良かった。
(創世記第1章31節 )
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創世記の第1章を読むと主なる神がいろいろなものをお造りになるたびに「神は見て良しとされた」と書かれている。
これはわたしたち人間もよくあることではないだろうか?
つまりハンドメイドでバッグを作ったり、料理を作ったりしたあと自分の作品を見て「ああ、なんて良くできたんだろう」と自分でも誇らしくとても満足することがある。
つまり独立自尊の主なる神もご自分の御手でお造りになったものを見て「心から愛された」のである。
「神に造られた」イコール「神に愛された」ということである。
「神は見て良しとされた」は「神は愛された」ということである。
だからどのような自分を見ても決して絶望してはならない。「神は見て良しとされた」のだから。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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