ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

この世の出来事

2007年12月12日 00時51分29秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
      さて、主イエスは御霊(みたま)によって
      荒野に導かれた。

              「マタイによる福音書 第4章 1節」

   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★   ☆★☆★



 御霊とは主イエス・キリストの霊のことだ。主イエス・キリストご自身の魂のことである。また、主イエス・キリストの意思のことでもある。
 そのご自分の意思で荒野に行ったのだ。
 「荒野」とは「この世」のこと。
 十字架のイメージが強いためか、主イエス・キリストには苦しみのイメージがつきまとう。しかし、主イエス・キリストは決して苦しみでけの方ではない。
 
 主イエス・キリストはクリスマスに生まれた。では何のために生まれたのだろうか。それはわたしたち人間を救うためである。
 救い?
 救いって何だろう。
 わたしは聖書を読んでも、教会に行っても、「救い」というものを自分のkととして感じることが出来ない時期があった。自分の問題として感じることが出来るようになったのは、わたしが病気になってからである。
 クリスチャンは「病気」も「救いへの道」と感じることが出来る者だ。
 
 うっそうー。やだあー。それなにぃー。
 そんな絶叫が聞こえてきそうだ。
 苦しい時の神頼みと言われるが、苦しい時に主イエス・キリストの救いの必要性を痛感するわけだ。
 わたしは病気が治ったわけではない。病気そのものは治っていないが、それでも尚、「癒されている」、「救われている」と感じることが出来る。
 そして、このようなヘタクソ文章を書いている時も、主イエス・キリストの「愛」を全身全霊で感じているのである。




   ☆★☆★   ☆★☆★  ☆★☆★   ☆★☆★

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウェディングドレス | トップ | 神さまへのラブレター »
最新の画像もっと見る

少女ジーザスの言の葉ランド」カテゴリの最新記事