
「天国は、一粒のからし種のようなものである。
ある人がそれをとって畑にまくと、
それはどんな種よりも小さいが、成長すると、
野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、
その枝に宿るほどの木になる」。
(マタイによる福音書 第13章 31節 )
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天国というところは死んでから行くところとは限らない。
この地上にいながらすでに天国を生きている者もある。
つまり主と共に生きるということである。
どのような苦難があろうともその者はすでに主と共に
生きているのであるから天国で生きているのである。
「ではあなたはクリスチャンですね。それでは主と共に
いらっっしゃるのだから毎日が天国でしょう」と
イッツオーロマチックにその者がどのような苦難にあって
いようともいっしょに祈ろうともしない。いっしょにその苦難と
戦うこともしないというのではない。
苦しむ者と共に祈り苦しむ。その愛が一粒のからし種なのである。
主が愛を注いてくださるようにみんなでいっしょに祈ろう。
そして愛しあえるように主よりの愛をいただこう。
聖霊が共にお住みになってくださる大きな無限大の愛となるために。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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