たとい人が全世界をもうけても、
自分の命を損したら、なんの得になろうか。
(マタイによる福音書第16章 26節 )
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現代ならさしずめ「たとい人が全宇宙をもうけても、
自分の命を損したら、なんの得になろうか」という
ことになろうか?
全宇宙を掌握してももし自分の命がなければ掌握したことすら
主にわからせていただけないのである。
そして「自分という意識」も主からいただけない。
「自分という意識」が全くない=死の状態である。
あなたはこうなりたくないのではないだろうか。
主の御手により創造された生命体(心と魂と肉体を持つもの)なら
けっして「自分という意識」を主よりとりあげられたくないと思う。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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