
大多数のクリスチャンは「祈りは神に何かを求めること」と
答えるだろうと思います。
しかし、だれかが言ったように、「私たちのために神に使い走り
をしていただく」以上のことなのです。
それは、無一文の人が金持ちの家のドアをノックするよりずっと
高度なことのはずです。
「祈り」ということばの意味は「(何かに)願望を向けること」
すなわち、神に願望を向けることです。
まことの祈りが求めているものは、神ご自身にほかなりません。
私たちの必要のすべては、神から与えられるからです。
(「祈ることを教えてください」ある英国の説教者 湖浜馨 訳
いのちのことば社 )
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「まことの祈りが求めているものは、神ご自身にほかなりません」
では神ご自身神とはどのような御方なのだろうか。
わたしはまず以上のことから何事も始めることにしている。
つまり主イエス・キリストとはどのような御方なのか。
こんなとき主イエス・キリストだったらどのようにお考えになるだろうか。
そしてどのように行動なさるだろうか。聖書の福音書の一場面一場面が頭に
浮かんでくる。あんなとき主はこうお考えになりこう行動なさった。
ではわたしも完全にまねできないまでも、主イエス・キリストのまねをしてみよう。
わたしの頭の中はこのことでいっぱいである。なかなか主イエス・キリストのように
考えられず行動もできないが、とにかく彼のまねをしようとこれでも一生懸命に生きている。
主ご自身に生かされている。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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