「だれかが墓から主を取って行きました。
主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
(ヨハネによる福音書第20章 2節 )
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墓におさめられている主イエスに会いにマグダラのマリヤが
週の初めの日の朝、墓に行ってみると主イエスの姿がなかった
のである。それでだれかが主をどこかへ移したのかと思ったので
ある。主イエスはよみがえって弟子たちよりも先にガリラヤに
行ったのである。復活の一番最初の証人がマグダラのマリアという
女性であったことがまことに深いものがある。
当時女性は人の人数をかぞえるときも数にいれなかったほど人権が
みとめられていなかったのである。
主が復活して最初におやりになったことはまずこの女性の人権を
みとめることであった。
それで復活の証人にしたのである。聖書のほかのところでは復活した
ばかりの主がマグダラのマリアに話かけている。
主は幼い時から女性の人権がみとめられていないことに御心を痛めて
いたにちがいない。
それで復活の一番最初の証人にマグダラのマリアという女性を選んだ
のである。女性は女性としての人権がみとめられていなくてはおかしい。
主イエスは変な女性の扱いは絶対になさらなかった。ここから女性が
女性としてはじめて人権が認められるようになった。
わたしも同じ女性としてとてもうれしい。
わたしも幼い頃から「女のくせに」「女なのだから○×でなければだめでしょ」
などと言われて育ったのだ。
主よ感謝します。
主イエス・キリストの御名はとこしえからとこしえまで何ものにもまさって
ほむべきかな。アーメン。
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