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「求道者」という神学用語がある。
神を求める者、あるいは神の道を求める者、
神の御前で神を信仰して自分はどう生きたらよいかを考えている者、
のことである。
わたし少女ジーザスはこのような「求道」の意識すらなかった。
ただ漠然と神さまのことを知りたい、神さまのことを勉強したいと
思って最初から「洗礼」を受けさせてもらおうと思って教会へ行った。
このような拙文を書けるまで随分と長い時間がかかってしまった。
主ご自身に対して強い「確信」が与えられるまでなんという長い時間が
かかってしまったのかわれながらなげかわしい。
しかしそれも今から思い起こせば一つ一つの出来事が主ご自身のお導きだったと
はっきりと公言させていただけることを主に感謝してもしきれない。
イスラム教徒が「クルアーン」を穴のあくほど熟読しているようにわたしたちクリスチャンも
もっと真剣に神を求めて「聖書」を読むことだ。
わたしは主ご自身に対して「確信」が与えられるまで随分時間がかかってしまったが、
「聖書」を読むことを「聖書」を勉強することをやめなかったことが神の大きな力強い導きで
あると確信している。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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