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したがって今日、我々の必要に足るだけを
謂わば「その日その日」に天の父が我々を
養いたもうならば、明日も無視されることは
ない、との確信をもって祈ることが、命じられて
いるのである。
だから、仮に物が豊かに溢れ、穀倉が一杯で、
食糧庫が充満しているとしても、日毎の糧を
祈り求めなければならない。
(「祈りについて」カルヴァン著I.ジョン・ヘッセリンク編・解説
新教出版社 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ4・4)。
主イエス・キリストのみことばである。
どこの世界のどこの国民にとってもまことに尊い、真に人間として、動物として、いのちあるものすべてにとって必要なみことばであり、警告とも言えるものではないだろうか?
人間にかぎって言えば、自分のいのちはいったいどなたが与えてくれるおかげで生きていることができるのか? ということが忘れ去られた時、良心のとがめも、何の罪の意識もなく「お互いに殺しあう」。「命の全否定」を他殺であろうと自殺であろうと戦争であろうと気楽にやってのけるのが「人間」のまことに愚かしいところだ。
わたしはフツーのクリスチャンとしてこの「人間」だけが気楽にやってのける「命の全否定」を、どうかすることのないようにしてくださいと「日毎の糧」を主の主王の王主イエス・キリストに祈り求めてやまない。
今日も明日もあさっても。
永遠に。
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謂わば「その日その日」に天の父が我々を
養いたもうならば、明日も無視されることは
ない、との確信をもって祈ることが、命じられて
いるのである。
だから、仮に物が豊かに溢れ、穀倉が一杯で、
食糧庫が充満しているとしても、日毎の糧を
祈り求めなければならない。
(「祈りについて」カルヴァン著I.ジョン・ヘッセリンク編・解説
新教出版社 )
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「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイ4・4)。
主イエス・キリストのみことばである。
どこの世界のどこの国民にとってもまことに尊い、真に人間として、動物として、いのちあるものすべてにとって必要なみことばであり、警告とも言えるものではないだろうか?
人間にかぎって言えば、自分のいのちはいったいどなたが与えてくれるおかげで生きていることができるのか? ということが忘れ去られた時、良心のとがめも、何の罪の意識もなく「お互いに殺しあう」。「命の全否定」を他殺であろうと自殺であろうと戦争であろうと気楽にやってのけるのが「人間」のまことに愚かしいところだ。
わたしはフツーのクリスチャンとしてこの「人間」だけが気楽にやってのける「命の全否定」を、どうかすることのないようにしてくださいと「日毎の糧」を主の主王の王主イエス・キリストに祈り求めてやまない。
今日も明日もあさっても。
永遠に。
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