これは一つの家の中で食べなければならない。
(出エジプト記 第12章 46節 )
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過越の食事のことである。
クリスチャンにとっては「聖餐」と言っても良いと思う。
わが家では夫と娘とわたしの3人とも全員が洗礼を受けた
クリスチャンなので食事のとき、「主よこれらの尊い糧を
すべて主の聖餐にしていただきましたことを感謝いたします」の
お祈りを忘れないようにしている。
上記引用の「一つの家」とは「神の家族としての教会」のことである。
わが家では家族全員がクリスチャンなので問題なかろう。
主が十字架におかかりになり復活してくださったので、わたしたち
主にある小さな3人の家族が食べる物持ち物すべて「主よりの聖餐」である
というのがわたしたちの信仰である。そのように考えるのがごく自然なこと
ではなかろうか。
食べる物、持ち物、出会う人、民族、国家、与えられたものはすべて「主よりの
聖餐」であるというのが主にある小さな3人の家族に与えられた尊い主への信仰である。
主に栄光がありますように。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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