異言を話す者は、人に話すのではなく、神に話すのです。
ということは、だれも聞いていないのに、自らの霊で奥義を話すからです。
ところが預言する者は、徳を高め、勧めをなし、慰めを与えるために、
人に向かって話します。
異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
私はあなたがたがみな異言をはなすことを望んでいますが、それよりも、
あなたがたが預言することを望みます。
(コリント人への第一の手紙第14章 2から5節 )
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異言は話している本人にもその意味がわからない場合が多いい。
だからパウロも言っているように異言を話すとしても黙示や知識や
預言や教えなどによって話さないなら、その人自身にも聞いている
者たちにとっても何の益にもならない。
だからちゃんと何について話しているのかがわかっている預言をすること
の方が望ましい。
このことは現代のわたしたちクリスチャンも重々気を付けなくては
いけないことである。
いわゆる霊的な現象を何でも重んじてはいけない。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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