
自分の神聖な霊に曇りが生じたなと感じたら、
ただちに自分は情欲のとりこになったのだと知り―
これと闘うことである。
(「ことばの日めくり」トルストイ著 小沼文彦編訳
女子パウロ会 )
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上記引用文に書いてあることは誰でも経験することと思う。
この拙文を読んでくださるあなたが人間ならば……。
フツーのクリスチャンのわたしに言わせていただくと、上記引用文の内容は即聖霊のお働きの結果である。
そしてわたしの経験からこれは人間ならば誰でも起こることである。これは「主の漁りのとき」と言ってもいい。
そしてトルストイの書いていることに反対するものではないが、「自分の力だけで情欲と闘ってもまずムダである」。
わたしはある国の古い映画で、軍の指揮官が「○×をやれ。▽▽の指示どおりに。あとはみんなそれぞれ(個人個人)の神に祈れ! 」と命令していたのを思い出す。
いくら宗教家でも自力だけでもいけないし、神頼みだけでもいけないのだなとわたしは目の覚める思いがした。その指揮官の言っていることが今でも耳に残っている。主ご自身の御声として。
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