ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

主イエス・キリストの家族。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年11月14日 00時03分45秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、
   生命の終わりもなく、神の子のようであって、いつまでも
   司祭なのである。

      (へブル人への手紙第7章3節 )


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 ズバリ、主イエス・キリストのことを言っている聖句である。
 主イエス・キリストは、「人となった神」というのがフツーのクリスチャンの信仰である。人となるには人間としての父母が必要である。
 いわゆる「聖家族」などと敬意をこめて呼ばれている主イエス・キリストの母マリアと、そして父ヨセフ。教派によっては彼のほかにも兄弟がいたと言われている、その人間としての家族のことである。しかしこのへブル人への手紙の著者はズバリ主イエス・キリストには普通の人間のように普通の家族はいなかったと言っているのである。
 それはただ単に「出自が悪かった」とか「家族とうまくいっていなかった」などということではないし、主イエス・キリストはパッと明るくきらびやかに「出現」した存在だから神さまなのだということでもない。
 ズバリ、わたし自身のフツーの感覚を述べさせていただければ、そう書かれるほど、主イエス・キリストはフツーの人間のようには「理解してくれる者がいなかった」のであると思う。このような、いわば「どん底」の存在として主イエス・キリストは生まれた。そして誰からも理解されることなく成長した。そして「キリスト教」なる「宗教」が始まってからも彼の愛弟子とされる、このわたしのようなフツーのクリスチャンにしてからが主イエス・キリストを真に理解しているとは言えない。
 主よ、わたしのような不信仰な者に真の信仰をお与えください。
 そして主よ、あなたのことをもっと理解させてください。
 あなたがわたしの救い主だからです。
 アーメン。



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      ↓:イエス・キリストよ。
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