この偽りのない場所は底なしの穴で、
自分の所有物、現在の自分のすべてを失う場所
ではないかと恐れるのである。怖がることはない。
生命の神は私たちをかき抱いて、真の安全をあたえて
くださると信じるがよい。
(「心の奥の愛の声」ヘンリ・J・M・ナウエン 小野寺健訳
女子パウロ会 )
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
フツーのクリスチャンのわたしたちにとって日々の祈りの中で特に主ご自身が強くわたしたちにおっしゃることは、「恐れるな」である。
ここまで書けば賢明な読者は「ああ、主イエスさまと出会うことはなんだかとてもこわいことなんだ」とおわかりだと思う。主の御前に出るというか出させていただくと、もう自分の今までの輝かしい経歴や良いと思っていた自分の性格や、良いと思ってやってきた善行、良いと思ってやってきたこと、良いと思っていたことの思いすべてが、「○×よ、それはどうなんだろう?」と主ご自身から問われるのである。
ある意味で主ご自身はオッカナイ閻魔さまである。それは主ご自身否応なくわたしたちの魂の奥底でなんとかどうにかこうにかわたしたちをご自分に似た者としてくださろうとする愛以外の何物でもない。
愛は時に、オッカナイものでもある。
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↓:♥。底。✝。
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ではないかと恐れるのである。怖がることはない。
生命の神は私たちをかき抱いて、真の安全をあたえて
くださると信じるがよい。
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フツーのクリスチャンのわたしたちにとって日々の祈りの中で特に主ご自身が強くわたしたちにおっしゃることは、「恐れるな」である。
ここまで書けば賢明な読者は「ああ、主イエスさまと出会うことはなんだかとてもこわいことなんだ」とおわかりだと思う。主の御前に出るというか出させていただくと、もう自分の今までの輝かしい経歴や良いと思っていた自分の性格や、良いと思ってやってきた善行、良いと思ってやってきたこと、良いと思っていたことの思いすべてが、「○×よ、それはどうなんだろう?」と主ご自身から問われるのである。
ある意味で主ご自身はオッカナイ閻魔さまである。それは主ご自身否応なくわたしたちの魂の奥底でなんとかどうにかこうにかわたしたちをご自分に似た者としてくださろうとする愛以外の何物でもない。
愛は時に、オッカナイものでもある。
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