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すべての生命は主なる神が創造なさったものである。
したがって人間にとって都合が悪い生物であっても、トルストイも言って言るが「生命を持ったありとあらゆるものの中にいずれも同じ神的根源が宿っている」、つまりどのような生物も魂を持っているのであり、神性を持っている。だからフツーのクリスチャンのわたしはフツーの人間としておよそ生物と言ったら主の創造というふうに考えることができることを主より与えられた信仰として主に感謝している。と同時に人間も生物の一種族である。そしていろいろな生物を衣食住のために殺さなければ生きていけないことに大きなかなしみと罪意識を持っている。この「殺さなければ生きてゆけない」という一事こそ「原罪」ではないだろうか? だからこそわたしはフツーのクリスチャンのフツーの反応として「生物」と言ったらすぐに「主の創造」という風に考え「生命」とは何か? という人類永遠の問いに想いを馳せ主に向かって思わず「主よ! 」と祈り、頭を垂れる。フツーのクリスチャンはそれほどあらゆる生命に対して感謝しているし、主が創造なさったものとして畏敬の念を持つものである。
(「原罪」の持つ本来的意味は、人間が神から離反するということにある。上記の意味とは異なることを
承知でこのように書いた)。
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↓:♥。sin。✝
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すべての生命は主なる神が創造なさったものである。
したがって人間にとって都合が悪い生物であっても、トルストイも言って言るが「生命を持ったありとあらゆるものの中にいずれも同じ神的根源が宿っている」、つまりどのような生物も魂を持っているのであり、神性を持っている。だからフツーのクリスチャンのわたしはフツーの人間としておよそ生物と言ったら主の創造というふうに考えることができることを主より与えられた信仰として主に感謝している。と同時に人間も生物の一種族である。そしていろいろな生物を衣食住のために殺さなければ生きていけないことに大きなかなしみと罪意識を持っている。この「殺さなければ生きてゆけない」という一事こそ「原罪」ではないだろうか? だからこそわたしはフツーのクリスチャンのフツーの反応として「生物」と言ったらすぐに「主の創造」という風に考え「生命」とは何か? という人類永遠の問いに想いを馳せ主に向かって思わず「主よ! 」と祈り、頭を垂れる。フツーのクリスチャンはそれほどあらゆる生命に対して感謝しているし、主が創造なさったものとして畏敬の念を持つものである。
(「原罪」の持つ本来的意味は、人間が神から離反するということにある。上記の意味とは異なることを
承知でこのように書いた)。
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