ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

復活の主。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年11月06日 00時00分37秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、
     それを起こすであろう」。
    そこで、ユダヤ人たちは言った、
    「この神殿を建てるのには、四十六年かかっています。
     それだのに、あなたは三日のうちに、それを建てるのですか」
    イエスは自分のからだである神殿のことを言われたのである。
    それで、イエスが死人の中から蘇ったとき、弟子たちはイエスが
    こう言われたことを思い出して、聖書とイエスの言葉を信じた。

     (ヨハネによる福音書第2章19節から22節)


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 上記に引用した聖句は何を意味しているのだろう?
 主イエス・キリストは十字架刑となり死んだのち三日ののちに復活したと新約聖書には書かれている。
 わたしはクリスチャンでありながら、長い間この「主イエス・キリストの復活」ということが理解できずに苦しんだ。
 現在フツーのクリスチャンの教会では復活祭(ふっかつさい、イースター)としてクリスマスの次に大切な祭りとしてお祝いされている。(本当はクリスマスよりも大切なのだが、一般的な注目度はクリスマスに及ばない)。
 わたしは毎年この復活祭を空虚なこころで過ごしていた。
 「主イエス・キリストの復活」が身にしみて、つまり主イエス・キリストを信じる者として、自分のこととして、どうしてもよく分からなかったからだ。世に知られた高名な神父さんや司祭さんや牧師さんのご著書を読んで勉強させていただいたが、何かしっくりこない。頭の中で「主イエス・キリストは十字架刑ののち三日後に復活されたのです」と繰り返してみたところで、やはりしっくりこない。
 この全宇宙の全人類にとって歴史的な一つの出来事がどう関わるものなのかが自分のものとして伝わってこない。
 そのわたしが、「主イエス・キリストの復活」を「自分のためだった」とようやく身にしみて「お祝い」できるようになったのだが、「洗礼」を受けてから、なんと長い長い時間が空虚に過ぎて行ったことかと自分の不甲斐無さ、アホさ加減にただただ呆れるばかりである。
 「主イエス・キリストの復活」が「事実」だという「信仰」が、ガッチリと主ご自身から与えられてからというもの、わたしの「いのち」というものに対する「心の在り方」がガラリと変えられた。わたしにとっては全宇宙のすべての人類と生き物が「主イエス・キリストの復活のいのち」となった。
 わたしの周囲の「いのち」がキラキラと活き活きと輝き始めた。そして「いのち」のひとつひとつがすべて「主イエス・キリストの復活」を全身全霊で賛美しているのが感じられるようになった。
 引用した聖句の中の主イエス・キリストがおっしゃっている「神殿」とはあなたのことであり、わたしのことであり、全宇宙のすべての人類と生き物たちのことである。
 主イエス・キリストの復活のいのちに生かされているものたちのことである。



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