ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

神殿(教会)を清める主イエス・キリスト。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年07月03日 00時00分25秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと
    座って両替をしている者たちをご覧になった。
    イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し
    両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに
    言われた。
    「このようものはここから運び出せ。
     わたしの父の家を商売の家としてはならない」


        「ヨハネによる福音書 第2章 14節」

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 みなさんは宗教団体が、信者から寄付とか献金として「お金」を取ることをどのように思うだろうか。
 わたしの主イエス・キリストの教会では、やはり献金を礼拝のたびごとに各自の自由意思に任せて募っている。そして月額献金として、これも毎月一定の金額を各自の自由意思で決めて納めさせています。
 「宗教は、すぐに金を献金せよと言うからイヤだ」という人は多いのではないだろうか?「宗教ビジネス」という言葉もよく耳にする。
 わたしの行っていた主イエス・キリストの教会の方は「うちの教会は、東京でも献金額が少ないのよ。でも誰も文句は言わないわよ。だから安心して」と妙な宣教をしていた。
 献金というのは最も簡単に言ってしまえば、教会を維持していくためのお金だ。司祭や牧師や神父さんに支払うお金ではない。もちろん、聖職者への「給料」もそこから拠出されるが。
 献金は正しく使われなくてはならない。個人や教会という団体が潤うための裏金になったりしてはならない。宣教のために、また救いを求める人のためにつかわれなくてはならない。街頭で「××地震の被災者のために寄付を」と言いながらお金を集め、実際は自分の団体(宗教団体の場合が多い)で使ってしまうのでは、詐欺と同じだ。

 イエス・キリストが、聖書の中でめずらしく暴力的な行動に出ている。
 なぜだろう?
 税金を集めたり、神殿への礼拝や献金のためには必要な活動もあるのに、また商売をしなければ食うに困る人もいるだろうに、主イエス・キリストはここでは大変に怒っている。
 おそらくこの場合、神殿で行われていた活動や商売が、祭司長や神殿で力を得ていた一部の有力者たちに都合のいいものだったのだろう。つまり献金をかすめ取るようなことを上層部がやっていたのだ。どこかの参議院議員がやっていたようなことを2千年前もやっていたのだ。

 主イエス・キリストのわたしたちへの、時に厳しい問いかけがここに表されている。


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    ↓:問い。
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