「あなたは、このことをするからには、どんなしるしを
わたしたちに見せるつもりか」と言った。
イエスは答えて言われた。
「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」
「ヨハネによる福音書 第2章 19節」
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わたしが主イエス・キリストの弟子として、主イエス・キリストの御名によってこのようなみことばを述べ伝える努めをしているので、二千年前の当時の宗教指導者たちが主イエス・キリストを詰ったように、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるし(天からのしるし)をわたしたちに見せるつもりなのか」と、まったく同じことを教会の信者や友人に言われてしまいそうだ。何しろわたしは取るに足らない者だから、病気に翻弄されてきたどうしようもない人間であるから。
でも、主イエス・キリストは「それを成せ」とわたしに言われる。きっと私自身のために必要なことなのに違いない。
ここで主イエス・キリストに詰め寄っている者たちの言う「しるし」とは何なのか。
要するに、神からのしるし、天からのしるし、ということだ、つまりは奇跡のことだ。
わたし自身も、「天からの奇跡」「神さまが行う奇跡」って一体何なのかと長い間、主イエス・キリストに尋ねてきた。祈りと共に尋ね続けた。
福音書にこんなエピソードがある。
イエスの衣のふさに触れたら十二年間も続いていた出血症がピタッと止まってしまった女性の話である。こういう奇跡の記述が福音書にはたくさん書かれている。
みなさんはどのように思われるだろうか?
わたしの知っているある男性は、「このキリストって、何かさ、初めて読んだ時は魔法使いのお兄さんって感じでさ。気味が悪かったよ」と言っていた。
この男性は今ではわたしなどよりヨホド「ましな」信者だ。はっきり言って、このヘンチクリンなわたしが、主イエス・キリストのみ言葉を伝えて長いことかかって主イエス・キリストの弟子へとお導きした男性だ。今ではわたしの一番のよき同朋である。
「宗教団体はどうして奇跡を売りものにして、信者から金をとっては病気を治してやるなどと偉そうなことを言うのか」という声が聞こえてきそうだ。たしかに批判されても無理からぬ点がある。
ただ奇跡とは何かという点を、もう一度考えてみる必要もある。
わたしが病気を抱えながら、なんとか主イエス・キリストへの信仰をもつことが出来ていること、実はその事実こそ「奇跡」と呼ぶべきものの本質なのではないか。神が遣わされた者を信じることの出来ることが奇跡なのだ、と思う。
奇跡とはびっくりする現象を指すのではないと思う。
当たり前のことの中に奇跡はすでに表わされている。
広大な宇宙の中に浮かぶ地球に生命が、そしてわたしたちが、誕生し存在しているという事実。これも奇跡である。
あるいは、わたしのような者のブログを今あなたが訪れ、このページを読んでいてくださることが、実に一番の奇跡なのかもしれない。
何ものかとの「出会い」は常に奇跡の証明を告げている。
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