
戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命の破壊です。
戦争は死そのものです。
(「原子野からの旅立ち」女子パウロ会編 )
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悲しむべきことにこれはどの宗教にも言えることだが、上記引用文を理解させていただくために人間は大変なものを心の内にもっている。
それは「悪魔」という存在である。
つまり上記引用文で言わんとすることを全部「悪魔」のせいにしてしまうということだ。
「悪魔」という存在が何かしら人間に悪いことを吹き込み悪いことをさせるという仕組みである。
わたしはフツーのクリスチャンとしてこれはとても悲しむべき人間の弱さからくる間違いであると思う。
もちろん「悪魔」を信じるのも信じないのも「信教・思想の自由」である。しかしその「悪魔」にとらわれてしまうあまりに人間は「自分の罪」を誤魔化してしまいがちではあるまいか。
「罪」の根っこに存在するのが「悪魔」かどうかというより、「自分は○○の罪を犯してしまった」と魂の底から悔い改めのお祈りを主に向かってするべきである。
上記引用文から戦争はやはり「悪魔」がそれをせよと人間に吹きこむからであろうか?そうお考えになるのは全く自由である。しかし「人間は戦争という罪を平気で犯す神の被造物なのである」。パウロも言っている。
「わたしはなんというみじめな人間なのだろう」と。
主に祈り求めよう。「罪」を犯すことのないように。
自分の罪を自覚させていただくために。
人間は主イエスがおっしゃるように「神の御霊を宿す一個の神殿」なのだから。
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