ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(トルストイ):真の衣食住。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2022年10月01日 00時10分01秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   貧しい人々の勤労によって、貧しい人々の働きによって、
   衣も、食も、住も与えられている金持ち連中が、自分たちは
   ―貧しい人々に恩恵を施しているのだなどと平気で考えることの
   できるこの世の仕組みは、どう考えてもどこかが間違っているに
   ちがいない。富者の満足は貧者の涙によって得られる。

    (「ことばの日めくり」トルストイ著 小沼文彦編訳 女子パウロ会 )

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 わたしが夫との結婚指輪として左手の薬指にはめているシルバーにターコイズの指輪はまさしく、上記のトルストイに与えられた主イエス・キリストのみことばのシンボルである。
 この指輪は千円前後で買ってもらったものだ。
 しかし、フツーのクリスチャンのみことば「富者の満足は貧者の涙によって得られる」がグサリと魂に突き刺さる。
 わたしたち家族は上記のような信仰をもって生かしていただいているので、よほど衣食住には「真に必要」と見なさなければ「買う」という行為は絶対にしない。
 これはいわゆる「禁欲主義の宗教家のへたな満足」に過ぎないだろうか?
 まさに主の眼から見たら「お前たち程度は、下手な満足だ」とお笑いになっておられる。
 人間にとって「真に衣食住」に「必要」なものっていったいどれほどのものがあるのだろうか? とわたしは考える。
 トルストイも言っているように、どうしても「この世」には「持っている人」と「持っていない人」が存在してしまう。それでは主イエス・キリストは不公平を容認して平気な神なのか? と反論が聞えてくる。
 しかしだからこそ「主のみことば」をどうにかして主の御力にたよって守ってゆくことが「必要」なのではないか?
 人間そのものが「不公平」を創ってしまっているのだから。
 主は隣人愛と相互愛の手本をわたしたちにお示しになり、実践を委ねておられるのである。わたしたちは祈りと共に主の御心を実践していかなければならない。




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     ↓:♥。トトロ。✝。
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