あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。
その一匹がいなくなったら九十九匹を野原に残しておいて、
いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
(ルカによる福音書第15章4節 )
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一人のいのちは地球一個よりも重い。主イエス・キリストは「全き神、全き人」である。いわば十全な存在である。しかし主ご自身は「十全」「完全」な存在であるにもかかわらず、わたしたちいのちある者一人一人、一匹一匹が大切なのである。主ご自身が創造なさったいのち一人だに一匹だに失われても「わたしは死ぬばかりに悲しい」とまで言われる。
この「わたしは死ぬばかりに悲しい」とは主が一人一人のいのちある者のために一匹一匹のために身代わりの十字架で死んでくださる直前におっしゃったみことばである。
主はすべてのいのちのために十字架にかかってくださり、すべてのいのちを主の復活のいのちに生かすために復活してくださった。永遠のいのちのために。一人一人の、一匹一匹の。
だからわたしはよく外国のドラマや映画のストーリーのように「何人なら救えるけれど、何人(かが)犠牲になる」といういのちを「数の論理」ではかることに完全に「否」「NO」と言える。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
主は言われる。
「一人の一匹の、いのちは地球一個よりも重い。だからあなたがたは互いに愛し合うために『一人はみんなのためにみんなは一人のために』というわたしの教えに従いなさい」。
主は言われる。
「犠牲者を意図的に出してはいけない。わたしがあなたがたのために十字架にかかったではないか。わたしの十字架の死とそこからの復活を信じなさい。そしてわたしの復活のいのちに生きる者となりなさい」。
主は言われる。
「すべてのいのちは平等なものではないか。わたしが創造したものではないか。わたしはいのちあるすべてのもののために十字架にかかり、天の父とはひとつである。すべてのいのちをわたしは復活のいのちで永遠に生かす」
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一人のいのちは地球一個よりも重い。主イエス・キリストは「全き神、全き人」である。いわば十全な存在である。しかし主ご自身は「十全」「完全」な存在であるにもかかわらず、わたしたちいのちある者一人一人、一匹一匹が大切なのである。主ご自身が創造なさったいのち一人だに一匹だに失われても「わたしは死ぬばかりに悲しい」とまで言われる。
この「わたしは死ぬばかりに悲しい」とは主が一人一人のいのちある者のために一匹一匹のために身代わりの十字架で死んでくださる直前におっしゃったみことばである。
主はすべてのいのちのために十字架にかかってくださり、すべてのいのちを主の復活のいのちに生かすために復活してくださった。永遠のいのちのために。一人一人の、一匹一匹の。
だからわたしはよく外国のドラマや映画のストーリーのように「何人なら救えるけれど、何人(かが)犠牲になる」といういのちを「数の論理」ではかることに完全に「否」「NO」と言える。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
主は言われる。
「一人の一匹の、いのちは地球一個よりも重い。だからあなたがたは互いに愛し合うために『一人はみんなのためにみんなは一人のために』というわたしの教えに従いなさい」。
主は言われる。
「犠牲者を意図的に出してはいけない。わたしがあなたがたのために十字架にかかったではないか。わたしの十字架の死とそこからの復活を信じなさい。そしてわたしの復活のいのちに生きる者となりなさい」。
主は言われる。
「すべてのいのちは平等なものではないか。わたしが創造したものではないか。わたしはいのちあるすべてのもののために十字架にかかり、天の父とはひとつである。すべてのいのちをわたしは復活のいのちで永遠に生かす」
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