
キリスト教をただ学んだといって、それでその教理から
力を得ることはできない。
哲学的にいくら深く研究しても、
キリスト教は仏教儒教等と多く異なるところはない。
キリスト教によってその大功を遂げようと望むならば、
これをその創設者である神に依って学ばなければならない。
すなわちキリスト教の真理と共に神の聖霊を仰がなければ
ならない。キリスト教を活かすのも殺すのも全く聖霊の力に
よるのである。
(「一日一生」内村鑑三著 教文館 )
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上記の一文で内村氏は主イエス・キリストを信じる者には他のいかなる力も「無力」であるという。
この全宇宙のいかなるものも聖霊の御力に勝てるものは存在しない。だからその教理をいくら学んでも深く研究しても、もしそれらがただ単に「自分の学識、自分の学ぶ力、自分の個性」だけの力で学んだり研究したりするならそれは全く無意味である。
「自分は今まさに主の御力に漁られているんだ」という生き生きとした全身全霊からの感謝の気持ち、「感謝の祈り」がなければ主イエス・キリストはあなたにとっても、わたしにとってもアカの他人であろう。
要するに「主に対して、主に向かって、全身全霊を持って祈ることができるか」ということにつきる。
彼はそのような者の友である。
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