逆説のようにみえて真理中の真理であることは、
人は自ら努めて善人であることはできないこと
これである。罪によって孕まれる罪のうちに生長した
人が、自己(みずから)の努力のみによって罪から
脱しようとするのは、泉が水源より高く昇ろうとする
ように、水夫が風に頼らないで意志の働きのみによって
船を行かせようとするように、望んではならないことである。
私たちの救いはキリストにおいて神につながれることによって
来るものである。そしてどのような理由がその中にあるにもせよ
福音的キリスト教の確信として動かしてはならないことは、
キリストの生涯と死とは救霊上必要であって、キリストに
よらなければ人は神と一体になることはできず、また
彼が神に対して犯した罪の赦されることはないということ、
これである。
(「一日一生」内村鑑三著 教文館 )
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上記引用の内村氏の一文はまことに簡潔にキリスト信仰の核心部分が書かれている。
キリスト信仰と言ったら主イエス・キリストの十字架と復活の信仰である。この御方に頼りこの御方のご生涯を手本とし、この御方のみことばに生かされることがキリスト信仰のすべてである。
キリスト者の生命の源は主の主王の王主イエス・キリストご自身である。
この御方からいのちをいただくことが祈りである。
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↓:♥。J.s。✝
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