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ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

言の葉(旧約聖書):ヨブの正義の祈り。🍸。🍶。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。

2023年08月23日 00時08分23秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
   息子たちはそれぞれ順番に自分の家で宴会の用意をし、
   三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。
   この宴会が一巡するごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて
   聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。
   「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と
   思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。

    (「ヨブ記」一章4節から5節 )

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 「ヨブ記」の主人公ヨブという人はわたしたちと変わらないごく普通の人間である。しかし「普通」であるがゆえにいつも彼らの頭の中は「主の御前で正しくありたい」という祈りに満ちていた。
 だから自分の息子や娘たちが宴会をするたびに上記引用の聖句のようにしていた。
 わたしはフツーのクリスチャンとして、われらの主イエス・キリストご自身がもし地上にいらっしゃったとき家庭をもち、息子や娘をもっていたら、きっと上記のヨブのようにしたと確信している。
 よく「苦難のヨブ」として知られているヨブという人はその意味でキリストの予型だと言っていいとおもう。
 さて、ヨブがなぜ息子たちが宴会をするたびごとに神にいけにえを献げて祈ったのか? 「宴会」とは食事をするだけではない。酒が供される。酒は人間の神経をゆるめるが故に飲みすぎると神経(それも全身のすべての神経)がマヒする。そして人間はまちがった行為をしてしまいがちの状態になる。酒を飲むすべての人間は「酒気帯び」で何かをするとロクなことをしない。ヨブはそれを熟知していた。だからヨブが息子たちに宴会のたびごとにしたことは正しい。主の御前にまさに正義である。


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