理性はどの人間にも一つしかない。
人間の交流は理性を基盤にしている。
したがってそれぞれの人間にとって拘束力を
持っているのは、すべての人間にとって同一の
理性の要求である。
(「ことばの日めくり」トルストイ著 小沼文彦編訳
女子パウロ会 )
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フツーのクリスチャンのわたしは理性こそ聖霊がはたらきかけてくださるところだと思う。
トルストイの言っている「理性はどの人間にも一つしかない」というのは「主は一つ」ということだ。
主の主王の王主イエス・キリストは一つ、ただお一人だということだ。
主イエス・キリストを求めることはトルストイに言わせれば、いやフツーのクリスチャンのわたしたちに言わせれば、
「すべての人間にとって同一の理性の要求である」のだ。
つまり主ご自身の要求なのである。
主ご自身がまず人間の理性にはたらきかけてくださる。
だから人間は誰でも理性をもっている。
そのように主が創造してくださったということがわたしたちフツーのクリスチャンのフツーの信仰である。
フツーのクリスチャンのわたしはそそっかしいし、とても落ち着きがない人間なのでいつも夫からもっと「理性を持ちなさい。理性的でいなさい。冷静にいていなさい」と警告されている。きっと主もそのようにわたしをご覧になっておられるのだと思う。
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