キリスト者はその信仰的実験によって、聖霊は
主イエス・キリストであることを知る。
彼らにとってはキリストは故人ではない、すなわち
単に歴史的人物ではない。
彼は今なお在される者である。
彼はすなわち黙示録記者のいわゆる
「今在し、昔在し、のち在す者」である。
キリスト者が他の宗教信者とその信仰を異にする点は
全くここにある。彼らは死んだ昔時(むかし)の英雄を
慕うものではない。今の存在する主に仕える者である。
彼らは真に今ある葡萄の樹であって、私たちはその枝である。
私たちは彼を離れて存在する者ではない。
キリストと信者とのこの個人的関係、これがキリスト教の特徴である。
これがなくては聖書も神学も教義もなんでもない。
そしてこれがあってすべてがあるのである。
(「一日一生」内村鑑三著 教文館 )
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キリスト教と言ったら主イエス・キリスト(救い主)を信じる信仰である。
現に今生きてわたしの内に宿っていてくださる主の主王の王主イエス・キリストを信じる信仰である。
この御方は全宇宙にこのわたししかいないかのようにわたしを知ってくださり、わたしを守り、
わたしを支え、わたしをいつもいかなる状況下でもわたしを助けてくださる御方である。
上記の内村氏も言っておられるようにわたしという個人を丸ごと心も魂も体も包み、救ってくださる
御方である。
主イエス・キリストとのこうした個人的関係こそ、キリスト教の骨子である。
一度騙されたと思って聖書の特に福音書を読んでみていただきたい。
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