
私たちが神の国の働きに忙しくしている時、
祈りの時間を少なくしても危険はないと考えやすいのです。
(「祈りの世界」O・ハレスビー著 鍋谷堯爾訳
日本キリスト教団出版局 )
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わたしはフツーのクリスチャンだが、およそ牧師、司祭、神父という聖職者の人たちは、たとえその人たちが教会の仕事で忙しくても、「神への一人でするお祈り」だけは絶対に欠かしてはいけないと思う。
もちろん聖職者の人たちはこんなことはわたしごときが言わなくても御承知のことと思う。
フツーの平信徒のわたしたちには上記引用のハレスビー氏の言っていることは耳の痛くなる場合があるかと思う。
どのように忙しくても「神への一人でするお祈り」の時間を十分にとる必要があると痛切に思う。
「神への一人でするお祈り」という人間の全身全霊をかたちづくる最も大切なことを抜きにしてはどのよう尊い働きを教会からいただいても無意味である。
わたしたちフツーのクリスチャンにとってそれが「他者」のために主イエス・キリストの御名によってなされるならば、専業主婦の炊事洗濯であろうと、警察官の任務であろうと、医師の仕事であろうと、消防士の活動であろうと、それがどのように小さなことに見えても立派な尊い「神の国の働きであり、神の国のための仕事」である。
そしてこの「仕事」をするうえで欠くことのできないものが、「神への一人でする(個人的な)お祈り」である。
さあ、主に向かって祈ろう!
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