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ポエムな言の葉パラダイス

少女ジーザスが詩を書いています。少女ジーザスが本を読んでいます。
みなさんに是非伝えたい言葉があります。

神に触れる。主イエス・キリストの御名によって。アーメン。(新約聖書)

2020年05月12日 00時13分51秒 | 少女ジーザスの言の葉ランド
    「わたしの着物にさわったのは誰か? 」 
    と言われた。
    「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、
    誰がさわったか? とおっしゃるのですか」
    しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、
    見まわしておられた。


            「マルコによる福音書 第5章 30節」   


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 主イエス・キリストの衣に触れて病気が治り、癒された人のエピソードである。
 わたしは、ここを読んでイエス・キリストに触れるってどういうことなのだろうと考えてみた。病気を癒された人は主イエス・キリストの身につけているものに、後ろから、そおーっと、恐るおそる触れた。
 わたしにも思い当たることがあった。
 初めて新約聖書を手にした時の感触!
 これって、何の本?
 これって、何について書いてあるの?
 ずいぶんと長そうな物語だなあ。
 わたしが読んでも分かるのかなあ?
 でも、そんなに高くないから、買っちゃおうかあ。
 一読して、わたしは主イエス・キリストの着物に触れたと感じた。そして癒して戴いた。
 苦しみが多ければ多いほど主イエス・キリストを求めて得られる感謝は多くなる。イエスさまもその苦しみをいち早く察知してくださる。
 イエスの衣に触れた女性は長く苦しい病と闘ってきた。差別や偏見の中を生きてきた。主イエス・キリストの前に姿を現わすことさえも群衆の罵声を浴びながらでしか成し遂げられない苦行だったのだ。主イエス・キリストはその苦しみをちゃんと聞き届けてくださった。そして女性は癒されたのだ。彼女の感謝の大きさは誰にでもよく分かる筈である。
 わたしもせめてもの神さまへの感謝のしるしとして、このようなブログを書かせて戴いているのである。




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